コンテンツの本質にせまる「コンテンツの秘密」

By | 2016/08/09

コンピュータの発達により膨大な数のコンテンツを毎日見ていると思います。
ですが、一回立ち止まってみてください。
コンテンツとは何でしょうか?
普段何気なく口にしている「コンテンツ」は何を指しているのか。考えてみると意外とわからないものですよね。
今回はニコニコ動画で有名なドワンゴの創設者である川上量生さんがスタジオジブリでプロデューサ見習いとして過ごした生活の中で、コンテンツと真剣に向き合った「コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと」を紹介します。

コンテンツとは

コンテンツは content に複数形の s をつけてカタカナに直しただけの言葉です。
一時期新聞などで対応する日本語に「情報の中身」とか「情報の内容」とかいう言葉が割り当てられていました。
ですが、日本語にするとさらにわけがわからなくなっています。

「情報の中身」というのなら、その中身が入っている入れ物は何なのか。
それはメディア(媒体)です。つまりメディアに載って伝えられる情報の中身がコンテンツというわけです。
新聞というメディアでいえば、記事や四コマ漫画、株価情報などがコンテンツになるでしょう。
テレビというメディアでいえば、ニュース、ドラマ、バラエティなどありとあらゆるテレビ番組がコンテンツになるでしょう。

コンテンツの違い

では、どこからが同じコンテンツとして扱われ、どこからが違うコンテンツになるのでしょうか?
どういうことかを具体的に言います。映画のコンテンツとして作られた「もののけ姫」は映画館で放映されるものとテレビで放送されるもの、DVDで販売されるものとは別物なのでしょうか?
これは、同じ映像という意味では同じコンテンツと考えたくなりますが、基本的にはメディアが異なると元が同じであったとしても別のコンテンツと考えるべきです。
なぜならテレビ放送の場合は映像が途中で切り刻まれてテレビCMが入ります。
DVDの場合は映画と同じ映像が入ったディスクだけでなく、綺麗なパッケージもついていますし、特典映像もおまけについていたりします。
このようにメディアが変わると元は同じ作品でも別のコンテンツになるのです。

このことについては2000年以上前にアリストテレスが「詩学」で同じことを言っているそうです。

叙事詩と悲劇の詩作、それに喜劇とディーテュラムボスの詩作、アウロス笛とキタラー琴の音楽の大部分、これらすべては、まとめて再現といえる。しかしこれらは三つの点、すなわち、(1)異なった媒体によって、(2)異なった対象を、(3)異なった方法で再現し、同じ方法で再現しないという点において、互いに異なる。 (アリストテレース『詩学』岩波文庫)

つまり、コンテンツ(再現)について、(1)メディア(2)対象(3)方法 のどれか一つでも異なれば別々のコンテンツであると言い切っているのです。

コンテンツを創る理由

アリストテレスは人間がなぜコンテンツをつくるのか(再現するのか)ということについても説明しています。

まず、再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。

人間は現実世界のシミュレーションとして最初にコンテンツから学ぶと指摘していると述べています。
つまり、人間が成長していく過程で現実社会を学ぶための教材がコンテンツであると言っているわけです。

このことから川上さんはコンテンツとは現実の模倣=シミュレーションであると定義しています。

本書に載っているその他のこと

上記に書いた内容は本書の中でもほんの一部分で、コンテンツとは何かについて考えている部分を持ってきたものとなります。
その他にも、とてもおもしろく興味深い内容がたくさん書かれており、それらを一言でまとめた内容を下記に書きます。

  • コンテンツとして定義された「現実の模倣」の本質は現実世界を特徴だけで単純化してコピーした脳の中のイメージの再現である
  • コンテンツクリエイターは脳の中にある世界の特徴を見つけ出して再現できる人。
  • アニメの情報量は人間の脳が認識している情報の量を表す「主観的情報量」と客観的基準で測れる情報の量を表す「客観的情報量」の二つがあると考える。
  • 優れたコンテンツとはわかりやすく、ユーザの情動を揺さぶるもの。
  • コンテンツのパターンは少なくなっていき多様性が減ること。

僕の考えるコンテンツ

僕も大学の研究の内容と関連があるためコンテンツについては普段からよく考えています。
対象はインターネット上にあるコンテンツについてなので、川上さんの考えとは違った部分もかなりありました。
その原因として、川上さんの中のコンテンツの定義は絵があるものを中心に考えていることがあると思います。
コンテンツが現実の模倣であり、シミュレーションであるとしてしまうと捉え方によっては何にでも当てはまってしまい定義としてはゆるいものとなってしまいます。
僕が考えたコンテンツの定義はある操作(動作)をすると繰り返し取得できるものです。
コンテンツの良い所は何回も同じものを取得できるところにあると考えています。
あるURLを入力すれば手に入る情報、ある本を開けば読めるストーリ、DVDを挿入することで見られる映像。これらがコンテンツだと考えています。

今回は詳しく紹介しませんでしたが、良いコンテンツの基準はほとんど川上さんと同じです。
川上さんはわかりやすく、ユーザの情動を揺さぶるものでしたが、僕は「情動をゆさぶる」までは言わず、「なんらかの感情を引き起こす」ことだと考えています。
このように思うのはコンテンツは人間が見るものだからということが大きいのかと思います。
見られないコンテンツは良いコンテンツにはならないため、多くの人に見てもらうためにはなんらかの感情を引き起こす必要があります。感情を引き起こすと口コミで広まる可能性が高くなります。また、再度見ようとするでしょう。

最後に

コンテンツの本を探してみると、コンテンツマーケティングのはなしとか、どのようなコンテンツが流行っているかとか、SEOの話とかがほとんどです。
そんななかコンテンツ自体について書かれている本書はめずらしく、とてもわかりやすく書かれているので非常におすすめです。
コンテンツの本質についてクリエイターとユーザのそれぞれの視点に立って書かれており、とても示唆に富んだ一冊となっていると思うのでぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか?


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